父の命日、ローゼルの花を手向けてきました。
石碑に刻まれたご先祖様の中に父の弟の名前があった。
享年18歳サイパンにて戦死と刻まれている。
そして軍属と書いてある。
若くで亡くなった叔父さんだ。
優しそうなお顔の遺影しか知らない。
どんな人だったのだろうか?
もっと知りたいと思った。
近くに住んでいる叔母なら知っているはず。昔の事をよく覚えていて話してくれる。
父の妹で89歳だが、とてもしっかりしている。
訪ねると快く迎えてくれた。
叔父の事を聞いてみた。
叔母より6歳上の兄で小学生の頃一緒に草刈りに行った事を覚えているそうだ。
なんでも母より聞いた話だが18歳の時、召集令状がきて佐世保に行ったそうだ。
そしてサイパンに渡る前、両親が呼び寄せられて佐世保に会いに行ったのが最後になったらしい。
そしてサイパンに到着後すぐに襲撃されて亡くなったとの事。
なんとか生き延びた人が教えてくれたそうだ。
今のように情報が発達していない時代、近くまで米兵が来ているのがわかっていなかったようです。
サイパンに降り立ちすぐだったようだ。
無念だったろうな。
ところで軍属とはなんぞや。
ちょっと調べてみました。
軍人意外で軍隊に所属する者。
一般事務、建物の建設、車両や物資、備品等の補給、管理など直接戦闘に関与しない雑役に従事するとあった。
叔父が何をしていたがわからないが、軍人ではなかったのでまさか行ってすぐ撃たれるなんて思ってもいなかっただろう。
昭和19年7月7日死亡と彫られている。
戦況が悪化している中でのサイパン行き、軍もわかっていたのだろう。
生きて帰れない事を。
そして両親を呼び寄せ会わせたのでしょう。
という事は本人もわかっていたのか。
まだ18歳辛かったろうな。
サイパン島玉砕。
死体の山だったのだろう。遺骨もない。
叔父の事を知れてよかった。
そして叔母から若い頃の父の事や母の事なども聞く事が出来ました。
私事ですが、忘れないように記しておこうと思います。
地元のお洒落なカフェで一人ラーメン、デザートランチ。
ラーメンにデザート付きは始めてだな。美味し!
辛い話しなのに幸せなおばばだ。
おつきあい有難うございました。