昨日からの続きです。
祖父は朝鮮で警察官をしていた。
長男である父と長女は朝鮮で生まれた。
朝鮮での暮らしはお手伝いさんがいる裕福な暮らしだった。
昭和7年生まれの叔母は鹿児島で生まれたらしい。
何年に朝鮮に渡ったのかはわからないが、昭和7年には引き上げてきている。
何故朝鮮に渡ったのか?
時代背景が気になったので調べてみました。
日露戦争後の話しになります。
1910年(明治43年)大日本帝国が大韓帝国を併合し、統治下に置いた。
日本が第二次世界大戦に敗れるまでの35年間、朝鮮半島は日本の支配下にあった。
今でも日韓関係がこじれている原因はこの辺りの事が関係しているようだ。
おばばは難しい事はよくわからないが、それなりにまとめると
韓国側の言い分は
朝鮮の民衆は併合に反対だった。
朝鮮は植民地化によりあらゆる搾取を受けた。
など事実かどうかわからないが主張している。
そして従軍慰安婦や徴用工問題は現代まで続いている。
日本側は
身分開放政策をし、身分のなかった人々にも名前を与え、戸籍登録した。
学校教育制度を整備し、4200の小学校を建設した。
日本同様の経済水準に引き上げる事を目指していた。
道路や鉄道、上下水道、電気、病院、学校、工場などの近代的なインフラや建物が整備され、韓国は経済的に発展した。
夫も韓国の経済的発展は日本が礎を築いたのだと言う。
多額の賠償金も支払っているのに、いつまでも慰安婦問題など取り上げてくると韓国側の主張には否定的だ。
私はどっちがどうなのかよくわからない。
でもどこからこの問題になったのかはわかった。
憲兵と普通警察を一体化した「憲兵警察制度」を採用し、韓国全土に日本軍や警察を配置した。
九州から玄界灘を渡り移住した人が多かったらしい。
独立を求める運動や日本支配への抵抗活動に対して、厳しい取り締まりをしていたのだ。
その後1919年3月1日(三・一運動)大日本帝国からの独立運動が起きる。
日本と真っ向から戦っても勝てないから、朝鮮から声を上げることで日本の国際的地位を脅かそう!そうすれば朝鮮独立のチャンスが生まれるはずと考えたようだ。
しかし朝鮮人が期待した外国からの援助もなく、独立運動は失敗する。
多くの死者や負傷者が出たようだ。
これを機に憲兵政治を廃止し文化政治としていく。
軍人が警察を兼ねる制度を廃止し、普通の警察にする。
独立運動の後13年後1932年(昭和7年)には祖父達は引き上げてきている。
独立運動前に行っていたのではと思っていたが、年齢からすると独立運動後のようだ。
独立運動のあとは大規模な反乱はなかったようなので、落ち着いていたのかも。
こんな記述も見つけた。
日本は、朝鮮をロシアに対抗する国防上の需要拠点とした。
また、朝鮮のマーケットに日本企業が参入することで、日本の経済発展を目指した。
土地を取られたり、朝鮮産の商品が売れなかったりとか不満をもつ人達もいたのだ。
日本は韓国の経済発展に寄与したのは確かだが、目的が日本の為だったんだよね。
やはり人んちに攻めて行くのはよくないと思う。
今でもあちこちで争いが起きてる困ったもんだ。
血を流すのは見たくない。
ファミリーヒストリーを書くと戦争は避けて通れないもんね。
歴史の勉強になりました。
そして祖父が朝鮮に渡った背景もわかりました。
写真は今日作った抹茶に小豆入りパンと奥はりんご甘煮入りアップルパン。
長くなりましたが、おつきあい有難うございました。